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人生と感動(2024年7月)

 信仰的な環境にはまだ浅いTさんが行方不明になりました。お子さんがなく、奥さんに先立たれ独り暮らしでしたが、どこに行くにも近くに住む人に伝えていく方でした。それが一〇日近くもいなくなってしまったのです。

 ところが一〇日ほど経って、実は交通事故を起こし病院に入院していることが分かりました。大きな事故だったため、本人自ら連絡することができなかったのです。

 知らせを聞いて、早速七〇キロほど離れたその病院へ私は行きました。本人はだいぶん元気になっていましたが、私の顔を見るなり、「自分のような親不孝者のところへわざわざ来ていただいて申し訳ありません」と言いながら、とめどもなく泣き出しました。

 私は少々驚きましたが、「この人は、人の情けに縁薄く生きてこられたのだなあ」と感じたものでした。そして、人が感動するということは千差万別であり、心構えによっては、どんなに些細な出来事でも感動できるものだと思いました。

 考えてみれば、私たちの人生の御守護の一番は、感動を覚えることかもしれません。

 帰りの車の中で私は、この人は大変な事故に遭ったのだが、これからの人生のためには、かえってよかったのではなかろうかと思ったものでした。

 Tさんは、やがて退院したら「おみち」本部にも参拝すると言っていましたが、そこでは、少なくとも人生の在り方、考え方が今までと違って変化すると思います。これからどれだけ生きていかれるか分かりませんが、これまでにもまして、感謝と感動が多くなることでしょう。

 人は皆、心の向きが変わることによって、人生のすべてが変わることを知るべきです。心の向きは、思わぬような病気や事故を体験した時に変わるチャンスがあるのです。その時に、深く自分の在り方、人生の在り方を考えさせられます。この世を生きていく上で、大切なものの順序が分かり、心が助かることの大切さを知るのです。

 信仰するかぎり、心が助からなければ甲斐がありません。心が助からないのは、それぞれの信仰の仕方が間違っているか、または成長が遅いためだと思います。

 Tさんは現在は再婚され、幸福な家庭を築き信仰の上でも前向きに勤められています。

 信仰の原点は、まず生かされていることを意識することです。また信仰は、神様は自分たち人間の親であると認識をすることによって、初めて本物となります。これが分かった人は、自分の身に起こることのすべてをプラスに、前向きに悟れるのです。