「続・心すみきる」

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「思い通りになる」と「幸せになる」は違う

あなたにとって「苦しみ」とは、どんなものでしょうか?
「苦しみとは、自分の思うようにならないことだ」と言った人がいます。たしかにその通りでしょう。老いも病も、死も、さらには勉強や仕事、人間関係、恋愛、結婚生活、さらに子育ても。思い通りにならないから苦しいのであり、悩むのです。
とすれば、私たちの「幸せ」とは「思い通りになる」ということなのでしょうか?
そう考える人が多いかもしれません。
けれど、本当にそうでしょうか?よくよく考えてみれば「不幸」だって、たいてい自分の思い通りにしたことの結果です。飲酒事故なんて、その最たるものでしょう。犯罪やルール違反、不倫などが招く身の破滅。思いのまま食べていたら、すぐメタボになり、糖尿病や高血圧をはじめ、いろいろな病魔におかされます。
「思い通りにする」とか「思い通りになる」というのは、「幸せになる」こととは全く別のことなのかもしれません。

下村栄子さん(仮名)は、現在六十五歳です。以前は、大阪で夫婦二人の洋菓子店を営んでおり、それなりに繁盛していました。けれど、ご主人が三十五歳の若さで他界。一時は酷く打ちひしがれた栄子さんでしたが、周囲の助けもあって店を続けながら当時五歳の長男を筆頭に、三人の男の子を女手ひとつで育てあげました。
栄子さんが、私たちの「おみち」に初めて顔を見せたのは十年ほど前です。「とくに悩みがあったわけではない。ただ、知り合いに誘われて」と、栄子さんは言いますが、本当にそうでしょうか?心のどこかに、本人も気付かない不安や心配があるからこそ来てみたのでしょう。「助かり」を必要としない人間など、いくら誘われても「おみち」に来たりはしないものです。

不安や心配を直視する勇気を持ちなさい!

栄子さんの心の奥にあった心配は、長男・秀男くんのことでした。
「惣領の甚六(長男は世間知らずのバカ者が多い)」とは、よく言ったものです。最初の子に、親はどうしても甘くなりがちです。それで意志薄弱になり、世間知らずに育ちやすい。秀男くんが、まさにそのタイプでした。(彼の名誉のために言っておきますが、二児の父親となった今はもちろん違います)
小学校一年で肺炎にかかり、一カ月ほど入院。そのうえ、父親もいないと不憫に思い、さらに甘やかすことになったのでしょう。そのため、いっそうわがままになる。反抗期も他の兄弟より激しく、シングルマザーの子育てがいかに難しいか、そのつらさを栄子さんにイヤというほど味わわせました。
そんな秀男くんにも、やがて社会人となるべき時が来ます。弟たちは有名企業、それもかなりの大企業に就職しました。結婚もし、それぞれ立派に一家を構えています。ところが秀男くんのほうはパッとしません。夜勤の多い倉庫管理という仕事で、デートのチャンスもなく家でくすぶっていました。
おまけに金銭感覚がルーズです。セールスレディに声をかけられれば、ホイホイと何でも買ってしまう。しかも高額なローンを組んで、借金までありました。見かねた母親が注意すると不機嫌になり、当たり散らすというありさまです。
「このままいったら、この子は将来どうなることか」と心配になり、夜も眠れないというのがたいていの親でしょう。にもかかわらず、「とくに悩みはない」と栄子さんは言うのです。「息子の人生は息子が決めればいい、私には私の人生がある」と。
自分の心に潜んでいる不安や心配に気付かない人がたくさんいます。正確に言えば、気付かないふりをしている。気付いたら、悩まなければなりません。向きあわなければなりません。今のまま気付かずにいるほうが、とりあえず気楽なのです。
けれど心の底では違います。必死に助けを求めている。だからこそ「悩みもないけれど来た」のです。あるいは、この小冊子を手にとって、読んでみたりするのです。
よかった!それが「助かり」の始まりです。

「人生百年」時代の幸せはどこにあるのか?

「子どもの人生は、子ども自身が考えればいい。私には私の人生がある」
最近は、そんなふうに考える人も多いでしょう。
日本人の寿命が延び、「人生百年時代」と言われます。子育てが終了しても、寿命がまだ何十年も残っています。自分の好きなことをしながら、長い老後を気楽にすごしたい、そんな人が増えました。
初めて「おみち」に来たときの栄子さんがそうでした。「息子が結婚できなくても仕方ない。本人次第ですから」。「お嫁さんが来なくてもいいし、同居できなくてもかまわない。老後は店も手放し、気楽なパート勤めでもしながら、趣味や旅行を楽しみたい。イザとなったら老人ホームにでも入るから、心配しないで」
はっきり言いましょう。栄子さんは、自分の期待通りにならない秀男くんを半分あきらめたのです。老後は自分の好きなことを優先し、「思い通り」に生きたいと。
しかし、そんなふうに「思い通り」にすることが、本当に栄子さんの「幸せになる」のか?私たちの心配はそこにありました。

ここで、大事な法則を一つお教えしましょう。
人の幸せに関する、とてもシンプルな法則です。それは「自分勝手な喜びや気楽を追い求めると、必ずその反動がやって来る」という、この世の「理」(こうすればこうなり、ああすればああなるという道理)です。人生経験の豊富な人なら、必ず「ああ、なるほど。その通りだ」と思うはずです。
じつはこの世に、自分勝手な喜びや気楽ほど怖いものはないのです。
だから、甘やかされて育った子どもは、将来、人一倍苦労する。美味しいものを食べ過ぎれば、必ずメタボになり病気になる。楽しければそれでいいという享楽的な生き方がどんな結果をもたらすか、あらためて言うまでもありません。
近年、社会問題になっているお年寄りの認知症にしたって、せっかく与えられた長い寿命を、自分勝手な喜びの追及に費やしたからではないでしょうか。
それで昔の人は、「若いときの苦労は買ってでもせよ」とか「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」あるいは「徳(人のために行う善)を積め」と言いました。
人間だから喜びを追い求めるのは無理もない。それなら苦労から逃げずに、徳もちゃんと積んで、その反動に襲われないよう、プラスマイナスの帳尻を合わせておけということです。人生というものを知り抜いた先人の知恵です。
この帳尻合わせこそ、皆さんにぜひ覚えてほしい「幸せの方法」なのです。
下村家の長男にも、その「反動」の影が忍び寄っていました。重い荷物を運ぶ労働で腰を痛めたのです。こんな仕事は続けられないと言い出しました。当時は不景気のどん底で、「就職氷河期」と言われた時代です。特別な技能や資格もないうえに、三十歳にもなった男に、再就職の口など絶望的な状況でした。
さらに追い打ちをかけるように「反動」が押し寄せます。栄子さんに癌が見つかったのです。

「安心せえよ。わしが父親代わりや」

「楽あれば苦あり」とか「徳」とか、古くさいと皆さんは思うでしょうか?たしかに今日、身勝手な喜びや楽しさが最高の価値とされがちな世の中では、なかなか受け入れられないかもしれません。時代ですから、ある意味では仕方ありません。
しかし、その「反動」があなたに襲いかかってきたときは、どうぞシンプルな法則を思い浮かべ、私たちのことを思い出してください。
私たちの「おみち」にはこれといった厳しいルールはありません。みんなで助け合いながら、「理」に則った生活をしようという人間の集まりなのです。
「助け合い」といっても、特別なことではありません。これまで私たちは何事でも自分を優先し、身勝手な喜びや気楽を第一に考えて生きてきた――それを、ほんの少し軌道修正し、できる範囲でいいから自分以外の人のために役立とうというのです。結局、そんな生き方が自分自身を助けることになるのです。
たとえば「おみち」仲間の家業や会社がピンチになれば、若者が中心になり、それっとばかりに助けに行きます。そのなかには社会生活になじめなかったり、仕事が長続きしなかったり、ギャンブルに狂って親を泣かせてきたような若者もいます。しかし彼らも、みんなと一緒に活動するなかで社会の規律やルール、また労働の習慣など、社会人としての自覚をみごとに身に着けてゆきます。
拝んだり祈ったりしても人は救われません。自分の勝手都合を捨てて、徳を積むことで助かってゆくのです。日々の生活のなかで相手を優先する。あるいは親孝行という当たり前の徳積みのなかに、助かりのタネはあるのです。
これまでの人生を変えたいという秀男くんに、「おみち」の主宰が声をかけました。「秀男くん、安心せえよ。わしが父親代わりになるで」。
頼ってこい、どんと受け止めてやるぞ――お父さんを早くに亡くした彼にとって、初めて聞いたやさしい父の言葉でした。

本当の幸せを見つけた!

秀男くんの「おみち」への参加をきっかけに、栄子さんは菓子店をたたみ、「おみち」のそばに家を構えました。息子の結婚にそなえたかのような立派な家です。「趣味と旅行、老人ホーム」の夢より、息子との老後を選んだのでしょう。親孝行という徳積みを子どもにさせるのは、親のなによりのつとめなのです。

けれど秀男くんの就職までには少し時間がかかりました。他の青年たちはさっさと就職し、次つぎ結婚して一人前になっていく。それを見ながら、栄子さんに焦りが出てきます。友だちが「海外旅行だ」「三ツ星レストランだ」と楽しんでいるのを知るにつけ、羨ましくもなったようです。
タネをまいたのに、なかなか花が咲かない。芽も出ない。そんなときは誰しも不安になります。「おみち」や主宰への疑念が、心の隅に小さく芽生えました。
丁度、そんなときです。栄子さんが口の中にできた小さな異物に気付きました。ただの口内炎だろうと思い、放っておくとだんだん大きくなる。病院で診てもらうと口腔癌と知らされました。しかもリンパに転移したⅣ期です。
「おみち」にやって来る栄子さんの表情が一変し、真剣そのものになりました。
病院の医師がすすめたのは唇の部分切除です。しかし主宰は、腫瘍を切除せずにすむ他に良い方法はないか?とおっしゃったのです。なぜなら栄子さんの癌は唇の裏側です。他の部分ならまだしも、唇の場合、切除後に体の他の部分から皮膚移植して手術跡をカバーすることは困難です。だから、切除の跡が生々しく残り、顔がゆがんでしまったり、話しにくくなったり、食べにくくなったりすることを心配されたのです。
「栄子さん、あんたは早くにご主人を亡くされた。長い間ずいぶん苦労してきた。だからきっと助かるで!」
これまで主宰のアドバイスで、たくさんの人が難しい病気を克服しています。それを目の当たりにしてきた私たちには確信がありました。ただ栄子さんが、どう受け止めるか。大きな分かれ道がそこにあったのです。主宰の温かい言葉にふれた彼女は大きな勇気をもらい、またわずかでも疑いの心を起こした自分を恥じたのです。
そうして、栄子さんは「おみち」に自分をまかせきり、もたれきったところに、栄子さんの「助かり」があったのです。
幼い子どもが親に頼るように任せきる――それが「助かり」を得るコツです。
詳しい経緯を説明するにはページが足りません。結論だけ言えば、栄子さんは放射線の「組織内照射治療」という、画期的な療法と奇跡的に出会うことでき、顔にメスを入れることもなく、癌はきれいに消滅しました。
あれからもう七年。癌の消失から五年以上、再発がなければ「治癒」「癌が治った」と見なされます。ますます元気な栄子さんの素敵な笑顔を目にするたびに、あのとき顔にメスを入れなくて、本当によかったと思うのです。
また、秀男くんも、女手ひとつで懸命に育ててくれたお母さんの癌という大きな試練を通じて、本当に成長しました。
それまで、人とのコミュニケーションが苦手だった秀男くんでしたが、「おみち」の仲間と交流するなかで、鍛えられていきました。先輩が経営する印刷会社など、いくつかの職場を経験しながら仕事を探し、今は一般の工場設備会社に正社員として就職し、以前とは別人のようにハツラツと働いています。
そして秀男くんも、父親代わりの主宰の紹介で、十二歳年下のお嬢さんと結ばれました。子どもも二人生まれ、すくすく育っています。

栄子さん自身の言葉です。
「私が仕事から帰ってくると孫たちが迎えてくれます。料理上手な嫁のかおりちゃんが夕飯をつくって待っていてくれる。秀男もたくましい父親になり、頑張って仕事している。いつも笑いのある楽しい家庭です。趣味や旅行を楽しんでいる友だちは、一見幸せそうです。けれど子どもはなかなか結婚せず、孫の顔も見られません。それにくらべて、私はなんと幸せなのでしょう。」

自分の「思い通りにする」ことと、「幸せになる」こと。
やはりこの二つは、全く別のことなのです。