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因縁の悟り(2026年2月)

 因縁という言葉はどちらかというと、一般的には暗いイメージが多いように思われます。
 仏教では、この世は苦のシャバとまで言われるように、どんな人でも必ず苦しみを背負って生きなければならないということでしょう。それは輪廻転生のうちに、前の世での悪行が巡り巡って今の世に芽生えたものだから仕方がないもので、因縁として受け止めて我慢して通りなさいということかもしれません。
 「おみち」で言われる因縁には二通りあります。その一つは、人間は皆、陽気暮らしのできる因縁を持っているということです。それは人間創造のときの神の目的がそうであったからです。ところが、自由な心遣いのためにほこりを積み、やがて払っても取れにくいシミのような、人間が蒔いた種の結果としての因縁も積むようになってしまうのです。
 しかし、どんな深い因縁も、ただ我慢して通るだけのものではなく、良き心遣いに目覚め実行していくとき、必ず因縁は変わり明るく前途に希望が湧いてきます。
 ところで私たちは、成ってきた事実を深く考えないで、人生が行き詰まったり、思うようにいかないときに、すぐに因縁だ因縁だと片づけてしまうきらいがあります。
 私は学生の時に「難儀するのも心から わが身うらみであるほどに」という天理教の「みかぐらうた」の言葉で、自分の進むべき人生について深く考え勇気づけられたものです。
「どんなに自分にとって思わぬ出来事も、その幸・不幸の責任は全部自分自身にある。解決できなければ自分をうらめ」とは実にきつい言葉ですが、この心さえ忘れずに、すべて我がこととして努力し続けて結果の悪くなるはずはないと、私は確信を持っています。
 人は皆、自分の努力のほどは棚に上げておいて、人のせいにしたり、社会のせいにしたり、また霊のせいにしたり、自分の欠点も知らずに因縁のせいにして逃げたり、あげくの果てには真理の本当のところも分からないで、神様のせいにしたりするのです。
 本当の因縁とは自分のくせ、性分なのだと悟って、私たちは成ってきたことに責任を持ちたいものです。