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心の器(2026年9月)
私たちは、それぞれ自分に合った器を持っています。健康の器、お金の器・・・、いろいろたくさんの器があります。健康やお金、あるいは知識などを納める器は、目で見ることができたり、様々な数値で器の容量を推し量ることができます。ところが、こうしたものとは別に目や数値では量れない心の器というものがあります。喜べる器はこの心の器の中でもとても大事なものの一つです。健康でお金があるのに幸せを得られない人は、喜べる器が小さいからです。
ある老婦人。若くして結婚をし子供を授かりました。しかし、その後、ご主人との折り合いが悪くなり、我が子を残して家を出てしまいました。
実の子供に会う機会を得たのは、それから四〇年も経ってからのことです。事業に成功していた息子は幼い時に捨てられたにもかかわらず、一緒に暮らそうと老母に言ってくれました。生活に困っていた老婦人は、生活も安定するし、息子や孫とも一緒に暮らせることで大変喜びました。
ところが、一年も経ずしてこの老婦人は息子の家に居づらくなり、また家を飛び出していきました。この間、息子も嫁も心から優しく老母に尽くしてくれ、何不自由なく気ままに暮らすことができ、何も不足を言うことはなかったのです。
しかし本人は、息子夫婦によくしてもらうことが逆に心の負担となり、だんだんと心が詰まってきたというのです。最大の原因は、老母の心に喜べる器ができていなかったからです。
親が親としての喜びをいただく条件は、ただ子を産むだけではなく、親心を一心に傾けて育て上げた誇りがなければなりません。この老婦人にはその条件を満たすものがなかったのでしょう。今からその条件を満たそうとすれば、ただ息子の恩恵に浴しているのではなく、それにも増して母として大きな勤めを果たしていかなければなりません。その努力が老母には負担となり、家を出ざるをえなくなってしまったのです。
この世のゆり戻しとして、このように親や子供、また他人からよくしていただいたり、財産や地位を与えられたりしても、自分が努力しない限りこれを喜べる器は備わらないのです。
「心尽くしただけが、ものだね(物種)」と「おみち」で言っているのはこのことを意味しています。
私たちの持ついろいろな器は、前世の因縁もあって、なかなか大きくすることが難しいものもあります。しかし、喜べる器は本人の心次第でどのようにも大きくすることができると私は思います。喜べる器が大きければ、他の器が小さくても必ず心底から喜ぶ幸せに恵まれます。その心遣いが、この身体を借りて生かされていることの自覚につながります。
自覚ができれば、自然に感謝の心が生まれます。感謝の心はお礼の心をつくります。 すなわち、喜べる器を大きくすることによって、世の中に自分の力をお返しする事ができるのです。