「願いはかなう」

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今、ぜひ叶えたい願いはありますか?

あなたにはいま、どうしても叶えたい「願い」がありますか?
いま解決したいと願う「悩み」はありますか?
その「願い」がきっと叶う方法を教えしましょう。その「悩み」が解決する一番確実な方法をお話ししましょう。あなたの願いがどんな願いであっても、またあなたの悩みがどんな悩みであっても、それを実現し、幸せになる原理は同じです。たった一つです。

「おみち」という私たちの集まりはこう考えます。――願いや悩みは、あなたの能力を超えたものです。だからこそなかなか実現できない「願い」であり、いつまでも解決しない「悩み」となっているのです。大切なことは、自分の力を過信しないこと。信頼できる人に素直に助けを求めることです。一人で悩み苦しむのでなく、謙虚になって助けを求めること。人とつながり、支え合い、みんなで知恵を出し合いながら悩みを解決し、もっと幸せになっていこう。「おみち」という会は、そういう集まりです。
 これからお話するのは、そんな私たちが日々実践している「幸せになれる方法」であり、「願いの叶う方法」です。

しあわせな結婚生活の夢が破れて (実話)

ここで、原口詩織(仮名)さんに登場してもらいましょう。
現在、四十八歳になる沖縄出身の女性です。五つ年上のご主人は、過去にはいろいろ問題もありましたが、今は駅前に建つ立派なマンションのオーナーで、不動産管理の仕事をしています。子どもは十代の中学生と、まだ手のかかる五歳児。二人の男の子の育児・子育てに取り組んでいる、頑張り屋のお母さんです。五年ほど前には、別居していた八十代のお義母さんを引き取り、現在は三世代で、仲良く楽しそうに暮らしています。
しかし今のような笑顔あふれる家族になるまでには、大きな試練がありました。「おみち」と出会えなかったら、きっとその試練を乗り越えるのは難しかったと思います。

彼女は沖縄の高校を卒業し、奈良県で就職進学しました。病院で働きながら学校に通い、念願の看護師免許を取得。看護師として働くうち、友人の紹介で知り合ったある男性に好意をもちました。それが今のご主人の原口孝男くんです。当時は自宅に自動車板金の工場を持つ、小さいながら一国一城の主でした。じきに二人は相思相愛になり、めでたく結婚します。「これで幸せになれるわ」と思ったでしょうね。
しかし、自分の思うように、願うようには決してならないのが私たちの人生です。
孝男くんにパチンコ狂いというタチの悪い悪魔がとりついたのです。仕事の方までいい加減になり、稼ぎも少なくなる。そうなると借金です。消費者金融で借りたお金は、雪だるま式にふくらみ、月々の返済額もみるみる大きくなりました。
詩織さんが小言をいっても、哀願しても、夫の行動はあらたまりません。やがて返済が滞りそうになる。詩織さんは仕方なく自分の給料からお金を工面する。最後には借金返済の為に長年働いた病院を辞め、退職金を返済にあてるまでになりました。

自分で考えた解決策はことごとく裏目に

こういう借金の穴埋めはいけません。「借金したって何とかなるんだ」と思わせてしまうのです。人生経験の浅い詩織さんが、ひとり悩んで考えた策は裏目に出ました。
だからピンチのときほど、信頼できる人の知恵を借りなければならなかったのです。
借金を妻に清算してもらい、しばらくはおとなしかった孝男くんの悪魔が、またムクムクと頭をもたげてきます。パチンコ屋通いの復活です。

そんな原口家にも、もし新しい生命が誕生していたら事態は変わっていたでしょう。希望の光も射したはずです。しかし子宝に恵まれない。チャレンジした不妊治療も詩織さんには辛い治療だったようです。一度は妊娠し、家族みんなで大喜びしましたが、その矢先に夫の大借金が発覚し、将来への不安というストレスも加わり流産してしまったのです。
頑張り屋の彼女は、それでも原口家を建て直そう、少しでも楽しい家にしようと懸命に努力します。しかし、夫のギャンブル癖は直る気配がない。残念ながら適切なアドバイスをしてくれる知人もいませんでした。よかれと思ってする努力がみんな空回りし、詩織さんはすっかり疲れてしまいます。
そんな心も体も傷ついた詩織さんのしんぼうの糸がプツンと切れました。 
「もしかしたら夫が反省してくれるかもしれない」――淡い期待をもって、それでもダメなら離婚も辞さない覚悟で、沖縄の実家に戻りました。そして、夫からの電話にも一切出ずに完全にスルーしました。こんなふうに幸せからほど遠い原口家が、どのようにして先のような親子三代仲よく、幸せに暮らす家族に生まれ変われたのか。不思議ですね。 

人生はすべて自分の心がつくっている 

人生というのは、自分の思いどおり、願いどおりにはいかないと言いました。それなら私たちの人生は、どんなふうに成っていくのでしょうか。それは面白いようにその人の心どおりに成っていくのです。たとえば、今のあなたの現実。幸せなのか不幸せなのかはわかりませんが、間違いなくそれはあなたの心がつくり出したものです。
ものごとには必ず原因と結果が存在します。いま目の前にある結果には、原因となったものが存在します。孝男くんの借金にはパチンコ狂いという原因がある。では、パチンコ狂いという原因をつくったのは、いったい何だったのか?それは間違いなく彼の心です。
あなたの目の前の現実は、あなたが望むものとは違うかもしれない。それでもあなた自身の心がつくり出した結果なのです。孝男くんだって、パチンコ狂いになりたくてなったわけではない。こうした原因―結果の法則を「おみち」では<理(り)>と呼びます。
世の中のさまざまな出来事を見てください。人は、いまそこにある結果しか目に入らないのでなかなか気づきませんが、そこには、必ず「心」という原因がひそんでいます。
つまりあなたの悩みにも、また願いが叶わないという現実にも、ちゃんと原因があるのです。その原因に的確に対処しなければ、いくら一生懸命努力してもその努力は報われない。詩織さんの努力と同じように、カラ回りしてしまうのです。
原口孝男くんのパチンコ狂いは、どうでしょう。 
それは意志の弱さ、甘え、金銭に対するだらしない心です。そんな心がどこから来たかといえば、孝男くんの「恵まれた生い立ち」です。資産家に生まれ、何ひとつ不自由なく育てられました。「欲しいと言えば何でも買ってもらえた」と孝男くんは言います。
さらにそんな夫の性分を甘やかし、助長してしまったのが詩織さんです。夫婦の片方が悪いのではありません。だから夫だけを責めても決して解決しないのです。
不幸とは、自分の嫌な心、また間違った心がつくりだした現実です。(たとえば、思い上がり、わがまま、自己中心、劣等感や恨みつらみ、腹立ちや怒り、こだわり‥‥‥)そうしたものに、いつまでも支配されたくなければ、方法は一つ。素晴らしい未来をもたらすような、素晴らしい心を生活の中でつくりだしていくのです。

「生きながらにして出直しや」

沖縄の実家に戻った詩織さんでしたが、ある日久しぶりに電話してみました。数か月ぶりに聞く夫の声。そこで思いがけない話を聞くことになったのです。
「おみちというところで三日勤めをしている」
 妻も逃げ出すほどパチンコにおぼれ、仕事もいい加減だった孝男くんが、なんと「おみち」に来ていたのです。「三日勤め」とは、「おみち」で行っている奉仕活動のことです。
私たちの今の生活はそれなりに恵まれています。毎日食べる物があり、家もあり、眠る所もある。私たちはそんな暮らしにすっかり慣れ、それを当たり前にし、感謝の気持ちを忘れていないでしょうか。それどころか不平不満の心を抱き、わがままを言い、自分の勝手都合を優先しがちです。そういう自己中心的な心が、やがて不幸を運んでくるのです。 
そこで、月のうち三日ぐらいは他人の為、社会の為に役立とうじゃないか。しかし、一人では勇気が出ないし、なかなか続かない。だからみんなで一緒にやろうよというのが三日勤めです。心配した親戚の人に勧められ、孝男くんもイヤイヤ参加していたのです。
詩織さんが、その電話の一件を話してくれました。 
「夫は電話で、おみちの主宰と剣道のまねごとをし、打ち込まれて『おまえは、生きながら出直しや!』と一喝されたこと。『出直しや!』と言われて腹を立てていたら、ちょうどそのタイミングで私からの電話が突然あって、その偶然にびっくりしたことなどを、興奮した様子で話してくれました」
 剣道のまねごとというのは、こうです。タテに週刊誌を丸めたものを刀がわりにして試合するのです。遊びですが、孝男くんは剣道三段。私にも剣道五段、居合道の心得があります。結局、孝男くんが降参するという結果になりました。
「どや孝男くん、怒っとるやろ。その怒りを忘れられへんか。それを許すことができたら、おまえにとって、いいことになるんやがなあ」
 孝男くんはそれまで「自分はエラい」と頭を高くして生きてきた。その彼が負かした相手を許す。心の大転換であり、成長の大きな一歩です。「出直しや」というのは、「死んだつもりになってやり直せ」という励ましでした。
その直後、突然妻から電話があった。孝男くんが興奮するのも当然です。そんな奇跡のような出来事が、「おみち」ではよく起こります。不思議とは思いません。自分の勝手都合を捨てて<理(り)>に従って生きる。そこに成るべきことが成ってきているだけです。

 自分を低くしてこそ最出発できる

皆さんもご承知かと思いますが、人は急には変われないものです。ですからその後も、原口家にはいろいろなことがありました。「おみち」の仲間が協力し、板金工場を盛り立てようと応援したこともあります。「しかし私たち夫婦の至らなさから板金工を廃業することになりました」と、詩織さんは振り返ります。
それもまた一つの結果ですから、仕方ありません。しかし今から考えると、それはもっと良い結果へ向けて成ってゆくための布石でした。あのとき気落ちしてあきらめたりせず、私たちを信じて委ねてくれたことで、最高の結果が成ってきたのです。
板金工場を廃業して収入の道を失う。そのことで、かえって新しい道が生まれました。大きな家屋敷を解体し、更地にして土地を売却する。その代金で収益性の高いマンションを購入し、賃貸経営したらどうかと私は思い切った提案を夫婦にしました。
大きな家は、財を成したお祖父さんの遺物です。ホコリだらけのその家を清算することによって、自分の家は資産家だ、特別なのだという幻想や思い上がりを捨てて、一から出直すのがよいと私は考えたのです。古い屋敷が原口家の出直しを邪魔していました。
人は、自分を低くしてこそ再出発できます。コツは頭も腰も低くするのです。誇り(ホコリ)があると、どうしても頭(ず)が高くなってしまう。家の解体・売却は、そういう原口家の<理(り)>を、悪しき心癖を変えることになるはずです。 
しかし先祖代々の土地です。なかなか踏み切れないでいた孝男くんですが、詩織さんは本気でした。「先祖伝来の土地を手放すのは申し訳ない」。そんな夫の気持ちはよくわかる。しかし原口家の助かりのために、そういう「おもんばかり」を捨ててほしい‥‥‥。
ここが人生の踏ん張りどころと決意し、もしも夫がこれまでの原口家にこだわり続けるなら離婚もやむを得ない、夫をこれ以上甘やかさないという覚悟で、孝男くんに厳しい決断を迫りました。
結局、その迫力に孝男くんも負け、過去のホコリにすがるより、未来に成ってくるものを信じて再出発することのほうを選んだのです。
その後は、とんとん拍子に話が進みました。土地は想像以上の高値で買ってもらえることになり、銀行にも好条件で融資してもらい、あれよあれよという間に大阪のうってつけの場所に五階建てのマンションを持てることになったのです。
自分たちも広い一軒家を新しく見つけて、そこに住むことができました。ものごとが成ってくるときの勢いとは、そういうものです。

願うことが、ひとりでに叶う

詩織さんには、もう一つ大きな喜びがありました。
孝男くん・詩織さん夫妻は、長いあいだ子宝に恵まれませんでした。顕微授精という新しい治療法にも挑戦しましたが、なかなか授かるには至りません。
そうこうするうちに齢がいってきます。不妊治療にとって、加齢は成功率を下げる大きな要因です。詩織さんも焦りを感じ始めます。その様子を見て私は一つの提案をしてみました。「特別養子縁組」の制度です。この制度を利用すれば、実の親が育てられない子どもを引き取り、養育することができます。希望すれば実子として育てることも可能です。
しかし詩織さんには「夫の血を引く子どもを産みたい」という強い思いがありました。結論を出すまでには、葛藤がかなりあったようです。 
ここで、私たちの幸せを邪魔するものの正体を教えましょう。
それは自分の思いや考えに対する執着やこだわりです。それがあるために間違いなく幸せに至る道を外れてしまう人がどれほど多いことか。もし詩織さんが妊娠・出産、血の繋がりに執着していたら、今日の幸せは望めなかったでしょう。
こだわりをきっぱり捨てて、二人は養子縁組を受け入れるべく動き始めました。
もう一つのこだわりは、子どもの年齢でした。養子にするなら小さな赤ん坊を望むのが人情です。しかしそれは難しそうでした。「年長の子でも愛情をもって育てれば、必ずなついてくれる」二人にそう話しました。苦労して難局を乗り越えた今の二人なら、素晴らしい親子関係という、願いどおりの結果が成ってくると確信したのです。
特別養子縁組の成立までには幾つものハードルがあり、時間と根気を要します。詩織さんたちはそれを一つずつ乗り越え、二年後に「わが子」を抱くことができました。その時間を「自分たちを成長させた二年間だった」と詩織さんは振り返ります。「実際にその子に面会するととても愛おしく思え、親になれるという喜びがわいてきました」。
このように自分のこだわり・勝手都合を捨て、成ってくるものを素直に受け入れながら<理(り)>に従って生きてゆく。それが幸せになる方法であり、願いの叶う方法です。

やって来たのは、ヒカルちゃんという目の大きな男の子でした。二人は、それはもう大事に大事にその子を育てています。そして、田舎に引っ込んで暮らしていたお義母さんを引き取って、一緒に暮らし始めました。精神的にも経済的にもゆとりができた今なら、お義母さんのお世話もできると思ったのです。「おみち」でも親を立て、恩を返すことがいかに大切であるか、それが<理(り)>の基本であると何度もお話しています。
すると原口家に、さらに素晴らしいことが成ってきました。
あれほど望んだけれど、もうすっかりあきらめていた、生後間もない赤ちゃんを授かったのです。今度は児童相談所の方から、誕生4か月の男の子を養子にしないかというオファーがありました。それを聞いて大喜びした詩織さんでしたが、一方で、その子が成人する頃は七十に近い高齢になるという心配がありました。
「もう一人、子どもができるなら、めでたいこっちゃ。ええ話やないか」
相談に来た詩織さんへの私の答えです。「将来のことをあれこれ考えることを、先案じと言うねん。先案じしとったら何もできん。本当は、自分のことが心配で先案じしてるねん。相手を第一に考えたら、先案じなんぞせん。その子のために精一杯に生きて、そこに成って来ることに身を任せるねん。それが、ワシらが幸せになる方法やねん」
こうして赤ちゃんを実子として引き取ることが決まりました。それによって長いあいだ望みながら果たせなかった、赤ちゃんを胸に抱くという願いを、詩織さんはついに叶えることができたのです。
孝男くんと詩織さんを長く見守ってきた私たちは、二人が人の親となって、親の気持ちがいっそう理解できるようになり、大きく成長したことを知っています。田舎に引っ込んでいたお義母さんを呼び寄せ、一緒に暮らし始めたのもその一つです。二人目の赤ちゃんはそんな二人への神様からのプレゼントだったようにも思えるのです。 

人生というのは、私たちの思いどおりにはいきません。願いどおりにもならない。私たちの心どおりになるのです。もし、あなたの願いが叶わないとしたら、あなたの心のあり方が間違っているのかもしれません。一度だけでもかまいません、「間違っていないだろうか?」と自問してみましょう。自己中心的で、自分の勝手都合を優先する心になっていませんか? 親を立てていますか? 謙虚に、周りの人の役に立とう、喜んでもらおうという心になっていますか? 
最後に皆さんにお願いです。この原口詩織さんのお話をどうか頭の隅に入れておいてください。そして、もしあなたに何か叶えたい願いができたときは、どうか思い出してください。私たち「おみち」が、あなたの願いを叶えるお手伝いを全力でさせて頂きます。