「笑顔でつくる幸せの道」
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1 人生は思い通りにならない
皆さんも一度ぐらい、宝くじを買ったことがあると思います。年末ジャンボだったら一等賞は7億円。「もし当たったら」と想像したくなりますね。けれど当選確率は二千万分の1です。国民全員が、赤ん坊も含め一枚ずつ買ったとして、当たるのはたった6人の計算です。それでも「わたしが当たるかも!」と思って買う人がいる。すごいプラス思考です。でも当選発表日には、その期待は裏切られることになります。
もちろん1等に当たる強運の人もいます。年末ジャンボでも6人はいる。ところが、アメリカのある調査で宝くじ当選者の5年後を調べたところ、まだ賞金が残っている人はほとんどいなかったそうです。そればかりか家族や縁者と不仲になったり、離婚したり、浪費グセがついて破産したり、仕事を失うなど社会の落伍者になるケースが多かったそうです。
金持ちになろう、幸せになろうとして買った宝くじが、ラッキーにも当たった。でも、その願いはかないませんでした。どうしてかわかりますか?人生は「願い通り」「思い通り」になるのでなく、その人の「心の通り」になっていくからです。幸せになる替わりに、心の通り家族と不仲になったり、怠け者になったりしているのです。
宝くじだけではありません。「願いがかなった」「思い通りになった」と、いい気分になるときほど用心が必要なのです。
「思い通り」と「心通り」。2つがどう違うか、おわかりでしょうか。
わかりやすく、実例をあげてお話ししましょう。
そのために登場してもらうのは、田中和江さん(仮名)という女性です。はじめて彼女にお会いしたのは34年前でした。当時はまだ30代前半だったでしょうか。「なんだ、もういいおばあさんじゃないの」なんて思わないでくださいよ。34年前は今のあなたと同じように若くて、しかも美人だったのです。
当時、和江さんには大きな悩みがありました。しかも3つも。一つは「骨頭壊死」という難病です。股関節の大腿骨が徐々に壊死し、最後は歩けなくなる。国の難病指定になっている怖い病気です。不治の病であり、最終的には人工関節になると宣告されていました。お会いしたときも脚・腰に痛みがあって、杖をついおられました。まだ若かったのでとても痛々しかったのを覚えています。
もう一つの悩みは、当時、小学2年生だった二番目の娘さんの不登校でした。このまま学校に行けなくなって、「引きこもり」になったらどうしよう。考えだすと夜も眠れなくなる。
さらにもう一つの悩みが家庭の不和でした。ご主人や、そのご両親と、どうもしっくりいかない。家庭円満こそ幸せの土台ですから深刻な問題です。
2 笑ったら悩みも逃げてゆくがな
田中家は、その地方ではよく知られた資産家です。敷地300坪もある大きなお屋敷に、ご主人の正彦さんと3人の女の子、それに正彦さんのご両親と同居していました。和江さんの学校時代は成績優秀で、京都の有名な女子大で学びました。「親元を離れて気ままな4年間でした」と本人も振り返っていますが、この「気ままな暮らし」というのが、たいていの場合、「味の素」ではなく「不幸の素」になるのです。
大学を卒業したら、「跡取り息子の長男と見合いし結婚するのが幸せだ」という親御さんのすすめで、サラリーマンの正彦さんと結ばれます。頭が良くて美人で、料理も裁縫もできる。正彦さんの両親もさぞかし気に入るだろう、と誰しも思いましたね。しかし何度も言いますが、思い通りにいかないのが人生なのです。
「田中家では日々の振る舞いまで一つひとつ小言をいわれ、厳しく躾られます。のんびり気ままに育ったわたしは、自分のすべてが否定されたように感じました。もう生きていても仕方ないと考えたぐらいです。追い詰められ、ひどく落ち込みました」
そんな悩みを和江さんは、結婚して以来ずっと抱えてきたのです。最初にお会いしたときでもう十数年。さぞかし大変だったと思います。そんな人に、皆さんなら何とアドバイスしますか。私は、こんなふうに言いました。
「あんた、いっぺん笑ってみ」
3 奇跡が起きた理由
「あんた、いっぺん笑ってみ」と言うと、和江さんは「そんなこと言われても、わたし笑えません。脚がこんなに痛いし、娘は不登校だし。おまけに舅・姑ともうまいこといかない。そんなわたしが笑えますか?」
「だからこそ笑うんやないか。あのな、目を細くしてみ」
目を細くしたら笑った顔になるんです。
「それを実行したら、あんたの脚は良くなるよ」
目を細めたら脚が良くなるなんて、いい加減な!と思われるかもしれません。しかしそのいい加減なことが現実になったのです。驚いたことに三日後のことです。急に脚の痛みがなくなりました。病院でレントゲン検査を受け、またびっくりしたそうです。骨頭にあいた穴が、ほぼ塞がっています。骨細胞が、なんと再生していたというのです。それだけではありません。悩みのタネだった不登校の娘さんも、どういうわけか自分から進んで、学校に通い始めました。
もちろん私の魔法などではありません。目を細めたから、たちどころに骨頭壊死が消えたわけでもない。私に言えることは、目を細くし、ウソでも笑っているように見えれば、ご主人や舅姑さんの気持ちも和むんです。家庭が和やかになれば、お嬢さんも安心する。子どもは心の拠り所があれば自信を持ちます。「いじめっ子なんかに負けんよ!」と言って、登校したそうです。
だから笑顔は大切なのです。同じ境遇でも眉間にシワを寄せ、暗い顔でいるよりも笑顔でいれば、自然とまわりも変わります。何よりも本人の気持ちがラクになる。ためしに、あなたも眉間にシワを寄せてみてください。なにかイヤ~な気分になりませんか。そうしたら次に目を細め、口角を上げてニコっとしてみましょう。
ほら、それだけで陽気な気分になってきませんか?
私が和江さんに目を細めるように言ったのも、舅や姑に対し、常に身構えている和江さんの心を少しでもほぐしてあげたかったのです。それにしても、こんなに絶大な効果を発揮するとは思いませんでした。心こそ幸せのカギなのです。
難病が、なぜ良くなったのでしょう。たいていの病気はストレスが大きな要因の一つです。笑顔が戻り、ストレスが軽減すればどんな病気も改善する余地がある――もし医学的に因果関係を考えれば、たぶんそうなるでしょう。しかしこういう奇跡的な変化は医学的なメカニズムを調べても、いまだに謎の部分が多いのです。
けれど、わかっていることがあります。
和江さんの心で何かが変わった――。何が変わったのか、おわかりでしょうか。変わったと断言できることが一つだけあります。私のところに相談に来てくれたことです。
「なんだ、そんなことか」なんて思わないでくださいよ。大事なところです。
悩みに苦しむ人のほとんどは、まるで悩みが大好きなように、しっかり悩みを抱きしめています。その両腕を開き、人に相談しようとしません。しかし知識も経験も乏しく、対処能力も持たない人が、いくら一人で悩んでも解決しません。
他人に相談する、信頼できる確かな人に相談するだけでも、皆さんの状況は大きく変わります。それまでウジウジと、ひとり悩んでいた和江さんが、相談しようと決めたとき彼女の心は大きく変わり始めたのです。
4 なぜ私たちは助け合い支え合うのか
難病の骨頭壊死にしても、わが子の不登校にしても普通なら5年10年、もしかすると一生涯悩まされるかもしれない大問題です。それが簡単に解決し、和江さんは大喜びでした。私どもの「日の寄進」にも勇んで参加するようになりました。
ここで「おみち」という、私どもの会についてお話ししましょう。
この会は年齢も職業も社会的立場も違う、いろいろな人が参加しています。大きな会社の社長さん、第一線で活躍するビジネスマン。そうかと思うと厳しい経営環境のなか、従業員を守るために必死で頑張る中小企業の経営者。パートや非正規で懸命に家族を支えているお母さん。社会復帰を目指す不登校やニートの青年。生き甲斐を求める若者や、老後の不安を抱えてやって来る人もいます。
はっきり断言できますが、世の中に悩みのない人はいません。問題は悩みのあることではなく、悩みに押しつぶされ、明るく楽しく暮らせないことです。
しかし一人で悩んでいると不平不満が多くなります。不安や心配、悲しみがどんどんたまりますからね。それで自分のことしか見えず、自分のことしか考えられなくなり、どんな人でも自己中心的で、思い上がった、高慢な気持ちになりやすい。
「心通り」とは、そんな心がつくりだす未来なのです。
だから一人で苦しまず、みんなで助け合い、知恵を出し合いながら悩みを解決し、幸せになる道をしっかり歩いていこう――それが「おみち」です。
「おみち」には「日の寄進」という、月に一度の集まりがあります。私たち人間は、本音を言えば自分が可愛いのです。自分ファーストでいたいのです。それができなければ、腹を立てたり、不平不満を抱いたり、人を恨んだり責めたり。だからせめて月に一度、自分の時間や都合を横に置いて、他人のために奉仕活動を行おうじゃないか、というのが「日の寄進」です。奉仕なんてまっぴらという人もいるかもしれませんね。でも、人間って面白いですよ。誰かの役に立てたら、それだけで嬉しくなるのです。
月に一度、グループごとに集まっておこないますが、奉仕活動とは言っても実際はみんなの交流会であり、食後の飲み会やおしゃべりを目的に来る人もいるようです。ふだん人に言えないことも、そんな場では話せます。同じような悩みを経験した者同士です。親身になって聞いてくれますからね。人間関係の事、健康の事、お金の悩みでも。相談する相手もなく、ひとり悩んでいる人が多い世の中では、とても大切な場所なのです。
参加するしないはもちろん自由です。しかしその日が待ち遠しくてならないという人が多いのです。一度その集まりを見てみたいという人がいたら、いつでも歓迎します。その際は、和江さんにもぜひ会ってお話を聞いてみてください。
5 なぜ病気が再発したのか
難病が良くなった和江さんですが10年15年と経つうち、また困った問題が発生します。一つは家の跡取り問題です。田中家には娘さんが3人いますが、天皇家と同様、男子がいません。婿養子を探しましたが、今どき入り婿になろうなどという奇特な若者はそうそういません。長女も次女も、相手を見つけて家を出ました。
そうなるとまた和江さんの心配性が始まります。自分の代で田中家を絶やすわけにいかないと考えると、再び眠れなくなりました。布団の中で悶々とするうち「娘たちが家に残らないのは夫のせいに違いない」と決めつけ、心でご主人を責め始めたのです。
不幸は、そんな心にこそしのび寄って来ることは、もう皆さんもおわかりですね。人生は、私たちの心通りになってゆきます。
脚の痛みが再発しました。はじまりは脚の付け根が痛む程度でしたが、そのうち立ったり歩いたりが辛くなり、台所仕事もできません。変型股関節症と診断され、ついには両手に杖を持たないと歩けなくなったのです。当時は人工股関節もまだ技術的に不十分で、手術はリスクあるものでした。スキーでもないのに、2本の杖が手放せなくなったのです。そんな状態ですから、これからやってくる「老いの坂」を登るのもさぞかし大変だろうと誰もが同情しました。
6 人は変わらない、変えられるのは自分の心だけ
和江さんに、私ははっきりと言いました。
「あんたは家のために頑張ってるつもりかもしれん。しかし尽くしてないんや」。
「尽くす」なんて今どき流行らない言葉かもしれませんね。その意味は「まこと」です。和江さんは家のためにこれまで一生懸命やってきた。私も認めます。田中家のため、夫のため、舅や姑のためを思い、精一杯努力していました。「日の寄進」に出るのだって田中家のためです。でも、と私は思うのです。心の内は果たしてどうだったのか。
「わたしがこんなに尽くしているのに、あなたは何もしない」「婿が見つからないのはあなたのせいだ」「お義父さんやお義母さんは少しもわかっていない」。
不平不満であふれ返っていました。
表面的に「はい、はい」と従うのが、尽くすではありません。もし皆さんの心にも「自分は間違っていない」とか、「わたしがこんなにやっているのに」とか、「うまくいかないのはあなたのせいだ」などという傲慢、高慢な気持ちがあるとしたら、たとえ表面でどんなに家族を思っていても、尽くしているとは言えません。
だから忙しい時間をやり繰りしながら「日の寄進」に来ているのに、家族が誰も一緒に来ようとしない。「わたしも行く」と誰も言ってくれません。「家族のため」という思いだけがカラ回りしてしまうのです。
和江さんも気づいてくれました。私の言葉をきっかけに、自分の心を見つめ直してくれたのです。「家族を支えているつもりでいたけれど、じつは自分こそ支えられていた」。夫婦のギクシャクも「自分に原因があった」と納得したようです。どちらに原因があるかなんて、私はよく知りません。どちらにあるにせよ、自分が勝手だった、思い上がっていたと思えるその柔かな心こそ、幸せな家をつくる素なのです。相手を責め、相手を変えようとしても、相手は決して変わらないのですから。
7 心の変え方
幸せになる一番の道、それは「アホ」になることです。
「家族のためにわたしが我慢しよう」とか、「わたしが辛抱すればいいのだ」とか、そんな賢そうな気持ちでいるうちは、アホは難しいでしょうね。
アホになるとは、喜ぶことなんです。どんな現実でも喜んで受け入れることです。受け入れるって感謝することです。「ありがたい。この悩みは神様がわたしに与えてくださったチャンスだ」と思ってみてください。そんな清々しい心になれたら、病気でも家庭の不和でも金銭問題でも、それを乗り越えてゆける力が湧いてきます。
それが心通りになるということです。
けれど私たちの心は、すぐに落ち込んだり、不平不満でいっぱいになります。そんなネガティブな心を変えるコツを最後にお教えしましょう。
第1に目標を立てること。目標がしっかりしていれば、心の座標軸はそんなに大きくは狂いません。「家を絶やさない」を目標にした和江さんの場合のように。
第2は、どんなことが起きても、それは神様のメッセージだと捉えるのです。
皆さんは、こんな言葉を耳にしたことはありませんか。「無駄なことは何一つ起こらない。人生で起こることはすべて意味がある」。じつはそれこそ、あなたの悩みには「あなた自身を変えなさい」という神様のメッセージが隠れているという意味です。
第3に自分を知り、ここに述べた和江さんのように自分を変えるべく心がけることです。今も和江さんは元気に「日の寄進」に通ってきます。嬉しいことに、三女が一緒に来るようになりました。しかもその三女が選んだ結婚相手が、嬉しいことに田中家の跡取りになってくれました。なかばあきらめた婿養子です。今は、念願だった男の子も含め3人の孫に囲まれて楽しく、にぎやかに暮らしています。
80歳近いご主人は今なお現役で働いています。和江さん自身も、この間に発達した医療技術のおかげで股関節手術が無事成功し、長年の不自由から解放されました。スキーのような2本杖もようやく手放せました。
心さえ変えれば人生が変わる、それを見事に証明してくれたのです。(おわり)