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理の尺度と因縁の自覚(2025年3月)

 私はある人に、「キリスト教では神は愛なりと言いますが、『おみち』ではどう言いますか?」と聞かれたことがあります。一口に、神は愛なりと言うことがキリスト教である、と言えるかどうかは私には分かりません。

 しかし、私は返す言葉として、即座に「『おみち』では、『神は理であり理は神である』と申します」と返答させていただきました。

 理とは、この世の不変の真理、筋道のことです。

 「おみち」の信仰は、この世の不変の秩序を知り、心に納めてそれに沿い、合わせて生活することです。したがって、神の恵みはすべての人に等しく降り注いでいます。

 なぜ、そのことを教えられるのか? それは、助けたい一条の親心からだと教えられます。

 人間は、理に合わせて計ってみると、だれもが良い心と悪い心を持ち合わせています。悪い心は、この世の理にそぐわないので、やがてこの世で幸せを失ってしまいます。そこで、悪い心を自覚させるために、推し量るべき尺度を教えられているのです。

 自由な心を持つ人間は、知らず知らずの間に、良くない心を遣いやすいものです。それはちょうど、人間のアカのようなもので、知らず知らずに溜まるものです。そのアカの溜まったことを自覚するのを「因縁の自覚」と申します。

 どう自覚するのかというと、自分の性格、自分の今まで通ってきた人生、自分の親、あるいは自分の子供、先祖などをよく知って、理の尺度で今日の自分を推し量ることです。

 しかし、いくら自分のアカのある場所、分量を自覚しても、それだけでは何もなりません。アカをとることを必ずしなければ、運命が変わるはずがないということです。

 そこで、神様はアカのとれる方法を教えてくださいました。それは、一にも、二にも、人を助ける心になって実践することです。

 私たちは誰でも、易きに流れやすく、誘惑に弱いものです。ですから、人助けの実践(おたすけ)は、最初は苦しいものかもしれません。また、喜べるまでに到達するのは、息の長いことかもしれません。しかし、実践し抜いたならば必ず素晴らしい運命に導いてくださることを、私は心底から確信しております。

 自分にとって大変な時期には、思いきる心が大切です。そのことを、「おみち」では「思い切るのが、因縁を切る理」と教えています。