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誠の心(2026年1月)

 神様が示される真実の道とはわれわれの心の道のことであって、この世の仕組みに合わせて誠の心で人生を歩むことであります。

 この世は種どおり芽生える世界なのですから、誠の心は、良き種を蒔く心でもあります。良き種とは、生かされていることに報恩感謝し、お礼申し上げるとともに、自分の勝手都合(自分中心の考え)を捨てて、人のために働くことです。そして、その行為がずっと続いてこそ、はじめて誠の心と言えます。良き種を蒔いて喜べる人は、本当に徳のある人です。

 しかし、多くの人は、自分がよくなりたい、損をしたくないという心があまりにも強過ぎますから、良き種を蒔くことを喜べません。でも、喜べないからといって、悪しき種ばかりを蒔いていると、種通りの世界ですから、いつまでも運命は変わらず、結局、最後は苦しみが待ち受けることになります。

 よく、信仰は心の問題だからといって、形を無視して「いつも心には思っていますよ」と言う人がありますが、これは一つも真実の心を出したとは言えません。種を蒔くとは、形を通してその心を表すことです。私たちの欲望が形を通して現れるのと同じように、真心も必ず形を通して現れるのです。

 ある信者さんの一例ですが、五〇過ぎのご婦人が、神様にお礼とご恩報じのためといって、教会へ参拝し、お供えもして教会のいろいろな仕事をするため毎日バスに乗って通っています。当然、ご婦人は形の上だけで見ると、経済的にも肉体的にも自分の得になることはありません。そうしたお勤めを続けるというのは大変なことで、つらいと思うこともあったのですが、お供えも初めから決めてがんばったということでした。

 ところが、続けていくうちにだんだんと楽しくなり、今ではお勤めが生き甲斐となってしまったというのです。しかも、うつ病状態であった頭もはっきりしてきたし、更年期障害の身体も大変楽になったということです。自分の欲望以外のことに目的を見出した人は、本当に心から喜べるようになるものです。

 ある意味で私たちは、自分の身にこたえるほど神様や人のために損をしてこそ、神様の心に応えることができると言えるのではないでしょうか。  「この世治める真実の道」を教えられた私たちは、神様のお働きとは、自分とか自分の家族だけのものではなく、すべての人に、心次第で公平であることを再認識させていただきましょう。